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籠城じゃ



全国1億2000万人のファンの皆様こんにちは。加藤清正です。

初めての人も清正公(せいしょこ)タンって呼んでください!


嘘です。山田です。

熊本県民以外、いやひょっとしたら熊本市民以外の方は加藤清正という武将のことをあまりご存知ではないかもしれません。


加藤 清正(かとう きよまさ)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将、大名。肥後熊本藩初代藩主。通称は虎之助(とらのすけ)。熊本などでは現代でも清正公さん(せいしょうこうさん、せいしょこさん)と呼ばれて親しまれている(清正公信仰)。 豊臣秀吉の子飼いの家臣で、賤ヶ岳の七本槍の一人。秀吉に従って各地を転戦して武功を挙げ、肥後北半国の大名となる。秀吉没後は徳川家康に近づき、関ヶ原の戦いでは東軍に荷担して活躍し、肥後国一国と豊後国の一部を与えられて熊本藩主になった。明治43年(1910年)に従三位を追贈されている。

加藤清正は築城の名手としても記録が残されており、熊本城の築城だけではなく、江戸城や名古屋城の改修の際に、石垣づくりを担当しています。

その証拠に、名古屋城には「清正石」というめちゃくちゃドデカイ巨石が使われています。


そして、築城の名手だけではなく土木事業にも長けていたとされており、彼が亡くなってから400年以上の時が経過した今もたくさんの堰が県内の河川に残っています。


で、籠城の話ですが熊本城は籠城しやすいように作られていたという説もあり、畳の中や壁に乾燥した野菜を仕込めるようになっていたと言われています。


現代は籠城に最適な冷凍食品もたくさんあるし、長引く外出自粛要請によりテイクアウトを始める飲食店が爆発的に増え、選択肢もたくさんあります。

不要不急の外出を避けつつ、これまで訪れたことがないお店のテイクアウトメニューを色々攻めてみようと思います。



ちなみに、熊本の歴史上の人物というと加藤清正ばかりが目立っていますが、幕末の思想家横井小楠も忘れないで欲しいものです。

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